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お遍路の始まりと成り立ち

もともと四国は辺地(へじ・へぢ≒僻地)と呼ばれ、古くから多くの修行僧が山々を巡り修行を行う場所でした。お大師様もその一人として修行し(815年ころ)、後の修行僧などがお大師様の足跡と伝わる霊場を辿るようになり、修行とともにお大師様への信仰が加わったものが、お遍路の原型だと言われています。その後徐々に整備され、江戸時代に「四国邊路道指南」(しこくへんろみちしなん)という今でいうガイドブックが出たことで概ね今と同様の型が出来上がり、八十八か所の霊場も定まってきました。

この「四国邊路道指南」が出来た背景ですが、江戸時代は軍事・治安維持等の目的から各所に関所があり、そこを通るためには通行手形が必要でした。庶民の旅行は禁止、手形を手に入れることも難しかったのですが、実は寺社仏閣にお参りするといえば比較的すんなり手形を手に入れることが出来たと言われています(有名なお伊勢参りなどは無条件で手に入れられたとも。。。その他人気は善光寺、日光東照宮、金刀比羅宮など笑)。すなわち江戸時代の庶民の旅行≒寺社仏閣巡りといっても過言ではありません(笑)
しかし遍路は工程も長く、道中険しいことは他の参拝の比ではありません。そこで自身も修行として遍路をしていた高野聖である「真念法師」が道しるべを置いたり、泊まれる宿をまとめたり。。。と「四国邊路道指南」を編纂した結果、徐々にお遍路する庶民が増え、今日の遍路があるということです。
今も昔も庶民の思いは同じですね♪

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